TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

社長! 物件がありませんぞ! 桃鉄グルメぐり~大分編~

   

ボンビ~! 福岡、長崎、宮崎、鹿児島、熊本と来て、ついに大分!「あきひと社長」です。

大分県に着いた後も着く前も、温泉温泉また温泉! そもそも九州には「銭湯」という概念がないと教えてくれた鹿児島人がいた。掘りさえすれば温泉が出るから、「湯を沸かす」という概念も「湯を沸かすほどの熱い愛」もないと豪語していたが、それはさすがに言い過ぎだろう。

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熊本では有名な黒川温泉に立ち寄った。神奈川に住んでいる僕には行きつけの温泉があるのだが、それは川崎にある「志楽の湯」。縄文天然温泉というキャッチコピーの通り、野生味あふれる世界観がものすごいのだ。川崎という大都会にいることを完全に忘れてしまう。「温泉にいく」という言葉が意味するのは「日常を離れる」ということでもあるが、「いい湯だな」以上に満たされるトリップが「志楽の湯」にあるのだ。

この温泉について調べていくと、露天風呂を作った後藤哲也氏という人物に行き当たる。彼こそが、現在の黒川温泉を蘇らせた立役者。かつて、黒川温泉が低迷していた時代に、周りから「奇人」と揶揄されながらも、ノミ一本で「岩風呂」を彫りあげる。黒川温泉にしかない物と物語を作ろうとしたのだ。そして、「ライバルは隣近所ではなく他の町の温泉街。これからの温泉街には統一感が必要だ」と言って町に働きかける。さらに、「整然と統制された自然ではなく、あるがままに見える自然にこそ人は美しさを感じるのだ」と言って、雑木林を活かした現在の黒川温泉を完成させた。驚くべきは、ただのあるがままの自然ではないということ。緻密に計算された「あるがままに見える自然」なのである。

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そんな黒川温泉に参らないわけにはいかない。そして驚くのである。川崎の「志楽の湯」とまったく同じではないか、と。後藤氏の哲学によって「あるがままに見える自然」は再現できるものとなったのだ──かくして僕は、後藤氏の岩風呂がある「新明館」でどっぷりと感動に浸っていたのである。

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そのあとすぐに大分にやってきた。温泉街につぐ温泉街。大分、別府、湯布院とまわってみる。しかし、どうにも黒川温泉ほどの感動がない。

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有名な「地獄温泉」もめぐってみた。が、これはあまりに茶番であった。地獄温泉とは遊園地ならぬ湯園地であり、入浴することもできないのだから。それでも続々と観光客が押し寄せているから不思議である。ちなみに「桃鉄Ⅲ」では別府の物件といえば温泉だったが、「桃鉄10」では登録抹消されている。

……とお茶ならぬお湯を濁しているのはなぜなのか。そう、大分には「グルメぐり」できる物件がなかったのだ。

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これが、大分。

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これが、別府。

むむむ、なんだかどれもパッとしない。しかし「だんご汁」とは何か。これは食べてみたい。さっそく訪れたのは別府の「甘味茶屋」。

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……ほうとう? 

似ているが、ほうとうは小麦粉を「うどん」のように打ったもの。だんご汁は小麦粉を「おもち」のようにこねてちぎったもの。ほうとうより太くてゴツっとしているが、食べてみるとやわらかい。それも「かぼす」を絞ってお食べください、とのこと。味がキュッとしまってうまみが増すようだ。なんでも大分県人はごはんにも「かぼす」をかけるくらい「かぼす好き」だという。

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そして、「シイタケ栽培」。大分県はシイタケ消費日本一。シイタケなんてどこでも食べられるがゆえに、どこで食べればいいんだろう。とりあえず、「大分県椎茸農業協同組合」に行ってみる。しかし、朝早く行き過ぎたのか営業時間外。どうしたものかと旅を続けていると、ありました。これぞシイタケと呼べるものが。

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湯布院の「湯の岳庵」である。見よ、このガツンとしたシイタケを。

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これで、なんと1000円。軽く炙るだけで食べられる。ふつうのシイタケで同じ食べ方をすればお腹を壊してしまうという。七輪で焼いているうちに、シイタケのふさが汗をかいてくる。待ちきれずにパクリといくわけだが、もはやこれは肉である。

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静かな湖畔の大邸宅であるこのお店。庭先には「ホダ場」と言われるシイタケ栽培を観察することもできる。整然と並んだ丸太からニョキニョキと生えている姿はユニークだ。しかし、これはあくまでデモンストレーション。お店で僕が食べた本物と呼べるシイタケは、さらに山奥にある究極の環境で栽培されているという。

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さて。

僕の人生に桃鉄がいかに影響を及ぼしているか。それについては鹿児島編で話した通りだが、「僕は桃鉄を卒業した……そう、大学生になるまでは。」と書いて筆を置いた。その続きを書いてみよう。

大学生になった僕は、暇を持て余した仲間たちと夜な夜な桃鉄をやりはじめた。夜な夜な集まる仲間といのは上京してきた一人暮らしの学生と相場は決まっている。いわば全国から集まった桃鉄プレイヤーには、それぞれのプレイスタイルがあった。

たとえば、こんな男がいた。彼は目的地よりも何よりも「カード売り場」に着くことを目的とする。そして、「特急カード」や「新幹線カード」を買いまくるのである。これらのカードを使うことで、1つしか振れないサイコロが3つも4つも振れるようになるのは周知の事実であろう。とくに珍しくもないカードだ。

3枚ぐらい「特急カード」を持っていても「カード売り場」に向かう。2,3マス先に「カード売り場」があっても「特急カード」を使う。なりふり構わず「カード売り場」を目指し続ける彼を尻目に、僕はゆうゆうと目的地にたどり着く。「素人め」と僕は嘲笑を浮かべたぐらいだ。しかし、気がつけば彼は1位を独走していた。

なんてことだ。まるで信じられなかった。彼はフロイトのようなしたり顏で言う。「桃鉄とは、いかに貧乏神につかない環境を作り出すかを競うゲームである」と。

確かに振り返ってみると、彼は常に4枚以上の特急系カードを持っていた。そうすることで、誰がいつ目的地に着こうとも瞬時にカードを使ってなすりつけることができた。そのポジショニングも計算していたのだろう。そもそも、誰かが目的地に着きそうになったときには、カードを使って目的地までの距離を縮めていたので、そもそも貧乏神が着く機会もほとんどない。

僕がカードを奪ったりシャッフルしたりしようと思ったときにはすでに遅かった。彼は特急系カードに加えて、「ブロックカード」も2枚常備している。これも「カード売り場」で買えるカードである。持てるカードの枚数には限りがあるので、特急系カードとブロックカード以外は容赦なくカード売り場で売りさばいて利益を上げていた。

桃鉄をやったことがない人には意味がわからない話かもしれないが、これはゲームの本筋ではない。裏道をいくやり方だ。そんな発想はゲームのルールという常識に縛られていたぼくは考えも及ばなかった。

あらかじめ決められたレールに沿って生きるだけでは、人生というゲームには勝てない。自分なりにルールを変えたり、新しいルールを生み出したりできる人間が人生の勝者となるのだ。またしても僕は、桃鉄に教えられたのであった。

 

次の目的地は「佐賀」です!

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