TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

あなたの島はありますか?「自分の名字と同じだから」という理由だけで「志賀島」に行ってみた。

   

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志賀島(しかのしま)は「島」ではあるが、砂州が伸びて陸とつながった珍しい島。「半島」としての条件も満たしているものの、一周しても10kmに満たない「小さな島」ということになっている。

その立地は博多天神から車で40分もあれば行ける距離。電車感覚で船も頻発していて博多港からわずか30分。総合すると江ノ島に住むより随分と都心に近い距離感だが、海の美しさは比べものにならない。

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島の歴史には由緒があり、金印(漢委奴国王)が発見された島でもある。

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万葉集で数多く詠まれたり、元寇で攻め入られた過去もある。しかし、現在は小さなリゾートとしての休暇村や海の家もあって、島に流れる空気に重さはない。お年寄りの姿は少なく、むしろ若い家族や大学生たちで活気がある。

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古民家が立ち並ぶ田舎にはロマンはあるが、実際は廃墟だらけの田舎も多い。しかし、志賀島はどの家も店も生きている。新しくも古くもない普通の民家ばかりだが、テニスコートには人がいて、芝生も整えられていて、自動販売機もいくつもある。町並みが生きているということには安心感があるものだ。

島の中央には山があり、登っていくと木漏れ日のカーテンが迎えてくれる。道路はしっかり舗装されていて、頂上にある展望台もデザインされているが、田んぼや畑も見られたし、珍しいものではモトクロスのレース場もあった。いろんな物事をいいとこ取りしているような島だ。

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東京やコンビニを捨てきれず、都会の便利さを享受しながら生き長らえている僕みたいな島である。つい、そう思ってしまった。

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「砂州が伸びて陸とつながった」と書いたが、現在では砂の上に「海の中道」という道路が敷かれている。しかし、それは最近の話。

昭和6年まで干潮の時だけ砂の道ができる島だった。九州と近い島だから「ちかいしま」、それがナマって「しかのしま」。それが「志賀島」の語源だと言う。

志賀という名字はそれなりにレアだが、地名としては長野県の「志賀高原」や「志賀山」をはじめとして、石川県の「志賀町」や和歌山県や愛知県にも「志賀村」がある。

その理由は、この志賀島から海を渡った先祖たちが、ルーツである「志賀島」の名前を受け継いで地名としたことに起因する。この島から船で散って行ったために、流れ着いた全国各地に「志賀」が点在しているというわけだ。これらはすべて紀元前の話である。

名字が一般化したのは江戸時代や明治時代の話だが、自分を名乗る必要が生まれた時にもまた、ルーツである地名が使われたのだろう。

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これらの話を教えてくれたのは「志賀海神社」の神主さん。

「僕の名字も“志賀”なんですが、志賀島はどうして“志賀”なんですか?」

突然、そんなことを聞きに来た僕に丁寧に教えてくれた。もちろんあくまでひとつの説として、という話だが。そして、ひと通り聞かせてくれたあとのこと。

「おかえりなさい」

そう言って笑ってくれたのだ。

すべての「志賀さん」は、この志賀島からはじまり、散っていった可能性が高い。僕の遠い祖先も志賀島で生まれ、遥かなる時を経て僕となり帰ってきたのかもしれない。ちなみに、僕の本籍は和歌山なのだが、神主さんも和歌山だった。

「もしかしたら、遠い親戚かもしれませんね。」

そう言うと、

「そうかもしれませんね。」

と、神主さんという立場を超えて笑ってくれた。

顔なんてそれだけで似ている気がするものだ。そう思って嬉しくなった。

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ある日、自分の島が欲しい、と検索しているうちに見つけてしまった「志賀島」。欲しいドメインがすでに使われていたようで残念だったが、それ以来、ずっと行ってみたい島だった。

実際に来てみると、なかなかどうして興味深い島となったのでした。

あなたの島はどうですか? あなたの島はありますか?

 - トラベルエッセイ