トルクメニスタン人と呼ばれて
2016/11/25
「トルクメニスタン?」
旅人である僕の顔を見て、イラン人はそう言った。
僕は日本人である。言うまでもない。しかし、僕の顔は濃くもなければ薄すぎもしない。一重まぶただが細長くはない。色白でも色黒でもなく、これぞモンゴロイドと言える黄色。おまけに、日本人の平均身長・平均体重にぴったり一致する中肉中背。これでもかと言える日本人である。
それでも、トルクメニスタン人と呼ばれたそのとき、ずっと不思議に思っていた謎がひとつ、解けた気がしたのだ。
その旅はシンガポールからはじまった。それから一週間も経たないうちにウンザリするほど聞かれた質問があった。
「Where are you from?」
である。会う人会う人に何度も何度も聞かれる。なにも僕がヘンテコな格好をしているからという話ではない。立ち止まって現地の人と会話をするときの何のヘンテツもない自己紹介の場面である。
僕という人間は何者なのか。僕を構成するアイデンティティ「その1」は紛れもなく「日本人である」ということだった。名前であるとか、年齢であるとか、仕事であるとか、そういった要素は日本人であることの下位にある。旅をすると思い知ることのひとつである。
「ジャパン!ジャパニーズ!」
そう屈託なく答えられることに、これまで外務省の方々が何代にもわたって築き上げてきた仕事に敬服してしまう。ほとんどの国に嫌われることなく、むしろ好かれている。日本という国のブランディングは見事だとしか言いようがない。
経済大国であるという評判には「誇り」すら感じる。これもまた、戦後から高度成長期にかけて働いてきた父親たちの仕事に敬服する。トヨタもソニーもニコンも、僕が働いたことがあるわけでもないのに、「スゴイだろ」と自分ごとのように自慢してしまうのだ。
出身国をめぐる質問においては、もうひとつのケースがある。
「Chinese?」と聞かれるケースである。
「Korean?」と聞かれることもままある。
それらに嫌悪感を感じて「ジャパニーズであること」をことさらに主張する人もいる。「あんなやつらと一緒にするな」という見下したような気持ちがあるのだろうか。それは、日本の国内における負のブランディングと言えるかもしれない。
幸いにして僕はそんなプライドを持ち合わせてはいない。
ときに「イエス!」と答えて会話をもてあそぶこともあった。「実は日本人だけどね」と種明かしをするときもあれば、しないときもあった。今となっては申し訳ない気もするが、同じ回答をする自分に飽き飽きしていたのだと思う。ただただ会話のキャッチボールを楽しみたかったのかもしれない。ときにフライ球を投げたりするように。
しかし、シンガポールからマレーシア、タイ、カンボジア、ベトナムと北上していくにつれて、その質問に変化球が織り交ぜられてきた。
「フィリピーノ?」
と聞かれたのだ。それも一度や二度じゃない。
ほとんどが「チャイニーズ?」「コリアン?」であることに変わりはないのだが、5人に1人ぐらいの割合でそう聞いてくる人がいる。中国人と韓国人はわかるけどフィリピン人はないでしょと、笑って否定したものだ。
そして旅は続く。中国に入ると当然ながら「ジャパニーズ?」と「コリアン?」の二択である。しかし、さすがに中国人は一発で日本人だと言い当ててきたものである。
チベットに入ると、別の意味で驚かされた。チベット人の顔があまりに日本人とソックリなのだ。中国人の顔が日本人と似ているとは思わないのだが、チベット人は似ている。クラスメイトにいたよね?と尋ねたくなる人にあちこちで遭遇するのだ。
もちろん、ブータンやモンゴルも含めてチベット圏の人たちの顔が似ていることは知っていたのだが、想像以上に似ていることにビックリした。
インドに入るとまた驚いた。「ネパリー?」と聞かれたのである。
ネパールにはチベット人も住んでいるので、それをイメージしているのかもしれない。そう考えて納得することにした。
それに、もうひとつ気付かされた。僕らがイメージするネパール人はインド人と同じ顔。しかし、違うのだ。イギリス人とスウェーデン人が違うように。あるいは、バリ人とジャワ人が違うように。
九州人と東北人のわずかな顔の違いが、僕たちには分かるように、その国の人にしか見えない繊細な見分けがそこにはあるのだ。
そして、当時は情勢が悪かったパキスタンをとばしてイランに入った。首都であるテヘランからエスファハーン、シーラーズと旅をしてトルコへ向かう。その途中、田舎町でヒマを持て余していたオジサンと何気ない会話をはじめたときのこと。
「トルクメニスタン?」
この質問が来たのである。
「!?!(おお!あれ?ああ!)」
日本人である、と答える前に顔がそう動いてしまった気がする。
彼らにとっての「世界」とはイランとその周辺国家。それが想像しうる世界のすべてだったのだ。イラン人ではないとすれば、トルコ人かパキスタン人かトルクメニスタン人か。インド人も中国人も日本人もトルクメニスタン人のような顔をしているに違いない、という世界観。
ベトナムでフィリピン人?と聞かれたのも、インドでネパール人?と聞かれたのも、彼らにとっての「世界」が小さかったから。良い悪いの話ではない。きっと、黒船時代の日本もペリーを見て、あれが「中国人」というやつか、と思った人もいたはずなのだ。
当時のイランはネットも普及していなかったし、テレビが外国を映す機会も圧倒的に少なかったのかもしれない。「ジャパン」という国があることは知っていても、日本人の顔なんて、想像の範疇をはるかに超えていたのである。
僕たちがアンティグアバーブーダ人の顔がわからないように。あるいは、カーボベルデ共和国の人の顔がわからないように。
トルクメニスタン人か。それも悪くない。
そんな気持ちが僕に「イエス」と答えさせた。そして、僕もまた想像がつかなかったのだ。トルクメニスタン人がどんな顔をしているのかを。