TRAVERING

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「からしレンコン」の中身はからしだけじゃなかった! 桃鉄グルメぐり~熊本編~

   

ボンビ~! 熊本駅を買い占めたいのに、いつまでたっても「ハイテク工場」だけ買えない「あきひと社長」です。

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熊本といえば「からしレンコン屋」。一体どんな食べ物なのか、ずっと気になっていた。こんなの、ビジュアルからして食べられるはずがない、と。

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レンコンの穴に「黄色いからし」がぎっしり詰まっている。おでんやシュウマイにつけるアレだ。ほんのわずかでもツーーーーーンと鼻にくるのに、こんなに大量にぶちこむなんて、罰ゲームにしか思えない。

そう思っていたのだが、記事のため、記事のため、記事のため。……意を決して口にいれる――いや、やっぱ無理だ! ……意を決して口にいれる――いや、やっぱ無理だ! と、口の中にいれるという簡単な動作が、どうしても、できない。

先入観とはやっかいなものだ。黄色いからし=激辛。「これはアカンやつ」と、脳が見た目で判断して、口にいれることを許そうとしないのだ。それでも、躊躇という躊躇を重ねて、目をつぶって口に放りこむ。……んぐ。

ツーーーーーーーーーーーーーン

……と、こない。あれ? むしろ、ほどよい「ツン」。シャキシャキのレンコンの食感もたまらない! ってあれれ? おいしい! 百聞は一ツンにしかず! 案ずるよりツンがやさし!

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その訳を「森からし蓮根」のおばちゃんに聞いてみる。すると、驚くべき事実が。

実は、からしレンコンの中身は「からし100%」ではない。むしろ味噌。麦味噌にからしを混ぜたものを詰めている。しかも、レンコンを包んでいる黄色い部分。これもからしではなく、天ぷらの衣のようなものだという。

なんでも、江戸時代、熊本藩の藩主が病弱だった。そこで、とある和尚が「レンコンが効くぜ」とアドバイス。その話を受けたとある男。すなわち「森からし蓮根」の始祖・森平五郎が「からしレンコン」を発明。これを食べて、たちまち元気になった藩主は、からしレンコンを秘伝とする。そのレシピは明治維新まで門外不出とされていたのであった。

これが、からしレンコンが熊本でしか見かけない料理となった理由でもあるという。

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そして、熊本らーめん。桃鉄の元ネタは言うまでもなく「こむらさき」。らーめんにはじめてニンニクチップをいれた有名店である。しかし、新横浜のラーメン博物館に支店があり、幾度となく食べてきた僕は、熊本でしか食べられない店をめぐることにした。

まずは、「黒亭」。

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卵に目がいくが、注目すべきは、焦がしにんにく油。黒亭は、こむらさきの創業から3年後となる昭和32年創業。歴史も負けず劣らずの名店である。洗練された店内やスマートな豚骨スープから、現代的な味にも思えるが、それは絶え間なく進化を続けてきた証でもあるのだった。

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お次は、「文化ラーメン」。

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こちらもまた、にんにくの香りがガツンとくる。卓上のニンニクチップによる「追いニンニク」も可能だ。麺は太くて透明なちゅるる系。あましょっぱい白濁スープにニンニクとマー油が香る。こちらは店内からして年季を感じさせる味があり、それは伝統を守り続けてきた証。この店もまた、先代から50年以上続いているという。

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熊本らーめんといえば、とにかくニンニク。ルーツをたどれば、豚骨ラーメンの発祥地は福岡県久留米市。そこから、北に博多らーめん、南に熊本らーめん、と、それぞれ独自の進化を遂げていったのだろう。

そして、熊本らーめんの南には、鹿児島らーめんがある。「豚骨らーめん」とひとくくりに言っても、それぞれに特徴があることを、この旅ではじめて知った。しかも、それはグラデーションのように味が移り変わっていく。あなたも、ぜひ舌でたどってみてほしい。

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熊本市街から離れると、すぐに阿蘇山が。活火山であり、およそ9万年前、九州の4分の3を焼き尽くしたとも言われている。そして、カルデラ。火山が噴火して、噴き出した分だけ地盤沈下のようにして陥没した凹地だが、その大きさは北海道の屈斜路湖に次いで全国2位。大規模な火山から降り積もった灰が土壌となり、スイカ畑や甘なつみかん畑を育んだというわけだ。

さらに、阿蘇山のふもとには空港がある。そのアクセスのよさがハイテク工場を呼び、三菱電機、本田技研工業、HOYAなど、半導体まわりを生産する工場が集中している。

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ちなみに、ぼくが熊本の物件に新しく加えるとしたら「ライダーズハウス」。

阿蘇山のまわりにはバイク乗りがやたらと多い。それもそのはず。熊本といえば、絶景ロード。「やまなみハイウェイ」「ミルクロード」「阿蘇パノラマライン」「天草パールライン」など、いずれも全国トップ10を独占するほど圧倒的な人気をほこる。

中でも、僕が気になっていたのは「ラピュタの道」。

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上記の写真はフリー素材なのだが、天空の城に続いているかのようなこの道をバイクで走ることは、僕の憧れであり夢だった。しかし、来年こそは、と先延ばしにしている間に、取り返しのつかない夢になってしまった。

それはなぜか。これが、僕が訪れたときの写真だ。

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ラピュタの道は崩壊してしまっていた。2016年4月に起きた熊本地震の影響である。

ニュースで見かけなくなったときが、震災の復興が終わったときじゃない。実際に熊本を訪れてはじめて、僕は当たり前のことに気づかされたのだった。

夢は、夢見たときに叶えなければ。絶景と呼ばれる景色は、いつまでもそこにあるとは限らないのだ。しかし、どこか諦めきれず、僕は付近にテントを張った。

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夜が更けると、眼下には輝く街明かり。その数を遥かに超えて煌めく星空。テントから顔を出すたびに目があう流星。遠くで花火も上がっていた。

そして、朝。

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絶景と呼べる景色がそこにはあった。

夢見た景色はいつまでもそこにあるとは限らない。しかし、実際に行動さえすれば、必ずや夢見た以上の景色が待っているのである。

 

次の目的地は「大分」です!

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