TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

忘れられないのは、ウサギというより黒歴史。カワイイ!だけじゃないウサギ島

   

101匹ウサちゃんの島

ウサギはさすがに耳がいい、の、だろうか。

ぼくが手にしたビニール袋がカサついただけで、駆け寄ってくること脱兎のごとし。逃げるための足は、人間からエサをもらうために進化している。ご注文はウサギですか? そう言わんばかりにヒョコヒョコっと目の前にやってくると、ヒョッコリ後ろ足で立ち上がり、全身でおねだりしてくる。

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引っ掻いたり、咬んだりしない。前足をお行儀よくお辞儀させて、鼻をヒクヒク、口をハムハム。控えめに、しかし、お上手に「くれくれ」する姿に思わず心がピョンと弾む。

ぼくのビニール袋の中には、この島のために用意したキャベツが一玉。ウサギの目の前でチラつかせて、やっぱりあ~げない、と言いたくなるのは、日頃のストレスの「ウサばらし」か。

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サディスティックな気持ちをおさえて、キャベツを一枚、差し出してみる。すると、後ろ足で立ったままペリペリ、モグモグと食べはじめた。モリモリほっぺが超絶かわいい。

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ウサギ島では、二兎を追う者は二兎を得る。

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キャベツを奪いあってケンカが起きることもない。日本人のようなマナーと礼儀正しさは、外敵もおらず、食料に窮することもない、恵まれた環境によるものだろうか。

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おれにもくれくれ。たくさんのウサギたちが集まってくる。

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みんなで輪になってモグモグ。ケンカは起きないと書いたが、

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写真をよくよく見ると、まれに競争も起きているようだ。

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しかし、全体を見れば、シルバニアファミリーのような穏やかさ。

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しばし、ありあまる可愛さを堪能してほしい。本題はその先にある。

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ウサギ島の正式な名前は「大久野島」。

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周囲わずか4kmの小さな島に、101匹どころではなく、約700匹もの「アナウサギ」が暮らしていて、その名の通り中途半端な穴を掘って、自分でハマってゴロゴロしている姿が島中で見られる。

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島全体が休暇村ということもあって、リゾート施設やキャンプ場なども整っている平和な島。ウサギのフンも臭わないので、人間たちもあちらこちらでゴロゴロしている。

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しかし、それらはすべて表の顔。その裏には意外な過去がある。

 

地図から消された島

なぜ、これほど多くのウサギがいるのか。

有力なのは、とある小学校で飼われていた8匹のウサギが放たれて野生化したという説。しかし、もうひとつ。「毒ガス実験」に使われていたウサギが、終戦、撤退とともに放置され、異常繁殖したという俗説がある。

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歴史をさかのぼろう。かつての大久野島は、瀬戸内海に浮かぶ小さな農村だった。しかし、日清戦争が起きると、数々の砲台が設置されることとなる。結局、砲台が使われることはなかったが、1927年に毒ガス兵器の開発拠点に選ばれると、日本の毒ガス兵器の約8割が大久野島で作られるほどになった。そして、実際に海外で使用された。

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これらの事実は、第二次世界大戦後、アメリカによって明らかにされた。毒ガス兵器を禁止するハーグ宣言でサインをした日本だが、秘密裏に毒ガスの開発を続けていたのである。だからこそ、大久野島は地図から消され、対外的には存在しない島となっていた。

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その責任については、東京裁判で裁かれるはずだったが、政治戦略によって訴訟にもならず追求は中止された。島に残存していた毒ガス兵器、および開発施設は、アメリカ主導で徹底的に廃棄されたが、現在でも地下からヒ素が検出されるなどしている。

それだけではない。中国には今も不発弾が残されている。廃品回収した缶から毒が漏れ出して死亡する、水道管を掘っていると爆発して大怪我を負うなど、いまだ問題は、ウサギの毛でついたほども片付いていないのである。

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現在の大久野島には、そういった歴史を包み隠さず後世に伝えていこうとする博物館があり、砲台跡や毒ガス貯蔵庫の跡地も残されている。

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お気づきだろうか。兎に角、すべての写真にウサギが写り込んでいる。真面目な話をしていても画面が引き締まらないほどである。ウサギと廃墟。表と裏。この光景の背景こそが、大久野島でしか見られないものなのである。

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烏兎匆匆。朝の便で島に着いても、あっという間に夕方である。昼間は日陰でゴロゴロしていたウサギたちも、より一層、元気におねだりをはじめるそのとき。あなたは何を思うだろうか。

 

 - トラベルエッセイ