true tears
2016/11/25
僕には感情がない。ココロがカタイ。
そう思うたび、コルカタの「死を待つ人の家」にいた老人を思い出す。僕はその老人に触れたとき、はじめて人が生きながらもつ「死」を知った。
その老人は、生きていてご飯も食べるけれど、その脚はコンクリートみたいに硬い。そして冷たい。なんの病かはわからないけれど、ずっと昔から歩けなかったのだろう。人は、自分の手足でさえ、動かすことをしなければカチカチに凝り固まってしまうんだ。
心も同じ。動かさなければ、固くなる。自分を守ろうとする人ほど、きっとそうだ。人とぶつからずに、「いいひとでいよう」と生きてきた人ほど、きっとそうだ。本気で笑ったことがない。本気で悲しんだことがない。本気で泣いたことがない。
感情が表に出ると、涙が出る。うれしくても、かなしくても。それはきっと傷からあふれ出す血と同じ。心にキズがついたときに、とろとろと、あふれてくるものなのだ。
僕の涙には、ずっと色がない。ニセモノのナミダ。
どこかに置き忘れてきたわけでも、誰かにあげちゃったわけでもない。
そこはきっと、自分の中にある未開拓の場所にあるんだ。
「これ以上進んだら、たぶんイタイ。」
そうやってずっと閉じこめて、守ってきた感情のその先へ。自分がひいた「感情のライン」を越えなければ、本当の涙の色を知ることはない。本当のしあわせや、よろこびも、かなしみでさえ、知ることはない。
老人の脚をずっとマッサージしていると、少しだけ、ほんの少しだけだけど、やわらかくなってきた。まだ完全に死んじゃいない。生きているとはそういうことだ。
涙の色を探しに行かなくちゃ。