鹿がいるから鹿島です。カワイイ!だけじゃなかったシカ島
鹿がいるから鹿島です
そんな馬鹿な、と言いたくなるが、本当である。
愛媛県にある北条鹿島は、周囲わずか1.5kmの無人島。しかしながら、野生の鹿が約50頭、飼育されている鹿を合わせると約80頭が生息している。
もとはと言えば、時の戦国大名が褒美としてもらった鹿であり、天然記念物にも指定されているのだが、増えすぎて困っているという。
鹿島は無人島であると書いたが、これほどアクセスのいい無人島もない。北条港から船で3分。昔は対岸まで泳いで行き来する鹿も目撃されたほどである。
船にも鹿が。
石碑にも鹿が。
そんな馬鹿な、と言うシカない。
というのも、肝心の野生の鹿が見当たらないのだ。
ウサギ島のようなウサギの楽園を期待していたのだが、鹿島の鹿は警戒心が強く、人間には近寄らないという。
シカたない。
飼育されている鹿を見に行くことにする。
100円で買ったエサを差し出してみると。
べろんべろんと舌を出して、ぬるんぬるんと舐めとってくる。
おいおい、がっつくな。
後ろで子どもたちが見ているぞ。アンタも親なら譲ってあげなさいよ。
……シカトかよ。
ちなみに、花札の10月の札に描かれている鹿がそっぽを向いていることから「鹿十(しかと)」という言葉が生まれたらしい。
がっつくなって。
ほら、お行儀が悪い。
それでいて、手持ちのエサがなくなると、この「シカめっ面」である。
去り際は実に早い。
うーん、正直これじゃない。
野生の鹿を、シカと見届けるそのときまで。ぼくはテントで夜を明かすことにした。
無人島だから理解できることがある
「ある朝、起きてみると外においてたダンボール箱が無残な姿に成り果てていてさ。誰だよこれ!って振り返って見たら、鹿が切れっ端をハムハムしてたんだよね。お前かよ!って(笑)」
そう話してくれたのは村上健太さん。無人島カフェである「海とcafe」を一人で取り仕切る店長さんだ。それだけではない。村上さんは、鹿島で寝泊まりしている唯一の人物でもある。
19時を過ぎるころには、観光客も、釣り人も、鹿の飼育員も、みんな船で北条港へ帰っていった。
村上さんとふたりきりになったその夜、無人島での暮らしについて、お話を聞かせてもらっていたのだ。
「鹿島は無人島だから、ゴミを捨てる場所がないわけよ。一番困るのは生ゴミ。だから“ダンボールコンポスト”を作ったんだよね。ダンボール箱に『くん炭』と『ピートモス』を入れて、そこに細かくした生ゴミを混ぜ込むと微生物が分解してくれるんだけど、まあ、正直めんどくさい。生ゴミなんてビニールに入れて捨てに行くほうがよっぽど簡単なんだよ。あ、流れ星。でも……」
流れ星に対する反応がサラリすぎる。無人島では珍しくもないのだろう。
「でも、もっと簡単なことがある。残さず全部食べちゃって、生ゴミを出さないようにすればいいんだよ。たとえば、仕込みで使った鶏肉から、鶏皮のゴミがたくさん出る。あるとき、これも食べればいいのかなって“鶏皮せんべい”にしてみると、これがウマくてね」
無人島にいて、これまで当たり前だったインフラを封じられたとき、ふと生まれる「気づき」がオモシロイと村上さんは言う。
ぼくも教えてもらったことがある。それは、齧っていたキュウリのヘタをポイっと森に捨てたときのこと。
「いま、土に還ると思って捨てたでしょ? でも、キュウリのヘタが土に還るのには、かなりの時間が必要なんだ。このBBQの炭だってそう。ぜんぶ灰になるまで燃やせばいいんだけど、途中で水をかけて捨てていく人もいる。炭が土になるにはキュウリよりもっと時間がかかるし、土の成分が変わって、そこに生えている植物が枯れてしまうかもしれない」
島だから、無人島だから、村上さんの話が身にしみる。自分の行動が自然に与える影響が、取り返しがつかないかもしれないという実感をもって、体験として理解できるのだ。
「別に強制はしないけど、そうやって便利なインフラが覆い隠しているものに改めて気づける場所にしていきたいなと思ってるんだ」
“聞いたことは忘れる。見たことは思い出す。体験したことは理解する。”
この言葉には続きがある。
“そして、発見したことは身につく。”
村上さんは、そうして自分で発見した物事をぼくたちに伝えてくれているのだった。
「あ」
と、村上さんが言う。また流れ星か、と思ったら鹿だった。
……鹿?
イター!!!
興奮して写真を撮ったらブレてしまった。
ぼくが近づこうとすると、ゆっさゆっさと野生の鹿は逃げて行った。
そして翌朝。朝日とともにテントの外に出てみると。
うわうわうわ!
これだ、これが見たかったのだ!
しん。
しんとしている、という言葉は、森(しん)としている、から生まれたのではないだろうか。そう思うほど、鹿島の森は静かだった。
人の気配が夜に溶けてなくなり、本当の意味で無人島になる早朝にかけて。
そのとき、確かに鹿島は鹿の楽園となっているのだった。