TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

観光客が増えても、誰ひとりとして、メリットがにゃい? カワイイ!だけじゃなかったネコ島

   

この島は正直がっかりだった

そう言ってしまっても、観光を目的とした島ではないので問題ないだろう。

15人のおじいちゃんおばあちゃんと100匹の猫。映画のような触れ込みで、猫も杓子も観光客が押し寄せている青島だが、あまりオススメはできない。それはなぜか。

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青島。通称ネコ島。

愛媛県の長浜港から船で約30分の距離にあるが、島を訪れるための選択肢はふたつ。8:00発の船に乗って16:15発の便で帰るか、14:30発の便に乗って16:15発の便で帰るか。後者の場合、ネコ島での滞在時間は約1時間。

結論から言うと、1時間で充分だと思うのだが、ぼくが選んだのは前者。長浜港付近に宿も見当たらないので、朝早い時間の船に乗るため、公園で野宿するハメになった。

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翌朝、港に行くと小さな定期船が。定員34名。座席の多くを観光客が占めている。ちなみに日本人はぼくだけ。台湾、ベトナム、韓国など、アジア系の個人観光客ばかりである。

青島に着いてもネコの出迎えはない。

船着場から道に沿って青線が引かれていて、辿っていくと「エサやり場」がある。ここでようやくネコ発見。

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この一箇所以外でのエサやりは厳禁。それにしては、思ったよりネコの数が少ない。ぼくがエサをやるまでもなく、大量のキャットフードを買い込んできた観光客がばらばらとエサをばらまいていく。

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猫の踏み場もない。

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とはいえ、やはりネコの数は少ない。それ自体はたまたまかもしれない。

問題は、カワいくないことだ。

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エサの奪い合いで争いが絶えないのだろうか。傷だらけのカワいそうなネコが多すぎる。

厳しい生存競争に生き残った猫たちはこうである。

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なんというチンピラ顔。柄が悪い。いや、柄は悪くないのだが、ガラが悪い。

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ゴロつき。いや、ゴロついてはいるのだが、ゴロつきである。

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育ってきた環境によって人間の顔は変わる。ネコにとっても同じなのかもしれない。

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アー写、ならぬ、ニャー写を撮っても。

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なんとなく、現在のSMAPを想起させる。

やはり、カワいくない。

 

観光客が来ても1円にもならない

周囲4kmほどの青島だが、平地は猫の額ほどしかない。山はすでに荒れ果てていて、島を一周することも難しいのだが、かつては800人以上が住んでいた漁師町。そのとき、漁の網を破るネズミを退治するためにネコを飼っていた家庭があった。それから急激な過疎化が進み、住民が15人に減るほど多くの人が島を去っていった。そうして、人の数が減るのに比例して、島に置き去りにされたネコたちが繁殖していったと言われている。

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島民のおじさんが釣った魚をさばきながら、内臓などの不要な部分を投げてやっている姿も見られる。こうして共存していたのが昔ながらの関係性なのだろう。

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島に宿泊施設はない。カフェや売店もなければ、自販機もない。ぼくのような観光客が増えても、島民の方は1円も儲からない。むしろ、昼間に出歩きにくくなったと話す島民もいるという。あくまで青島は生活のための島。ネコをかぶったようなセリフだが、事実、そう言わざるを得ない。

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言い忘れたが、ぼく以外は、もれなくアベックである。ふたりだけの世界に没入している彼らに話しかけることもできない。借りてきた猫のように大人しくしているほかない。

12時になるころには猫に飽き、島に飽き、神社の境内でひたすら読書。島で唯一と言える日陰であった。あまりの暑さにペットボトルも空になりノドもカラカラ。帰りの船まであと4時間。

ふと気配を感じて顔を上げると、トラネコがやってきた。そして、ぼくの隣で気持ちよさそうに居眠りをはじめた。

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カワイイ。はじめてそう思えたネコだった。「トラさん」と呼ぶことにして、しばらくモフっていたのだが嫌がる素振りもない。

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トラさん一家もあらわれたが、トラさんがニャンとしても起きないと悟って去っていった。

すると、もう一匹やってきた。今度は白ネコ。「シロさん」と呼んで愛でようと思ったが、この寝顔である。

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日曜日のお父さんにしか見えない。やはり、カワいくない。

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やがて、帰りの船がやってきた。もう来ることはあるまい、そう思って船着場に向かう道すがら。エサやり場にはキャットフードの食べ残しが大量に散らばっていた。

誰が掃除をするのだろうか。

観光客が増えることに、誰ひとりとして、なんらメリットがない。そういう島があり得るのだ。船上から、ネコの子一匹いない港が遠ざかっていくのを眺めながら、そう、思い知るのだった。

 - トラベルエッセイ