TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

地下に眠る “たまらない” 絶景。 あなたが2つ目の意味を知ったとき、 絶景に隠された本当の意味を知る。

   

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鬼が怒ったような洪水だった。鬼怒川が氾濫を起こした2015年9月の台風18号の記憶はまだ新しいが、大雨による増水は、利根川、江戸川、荒川にまで広がっていた。しかし、それらの川に囲まれていながらも極端に被害の少ない場所があった。栃木鬼怒川からわずか南に位置する埼玉春日部、そして東京首都圏である。その見えざる地下ではフル稼働で洪水を飲み込む「首都圏外郭放水路」の姿が、鬼より強く逞しい「龍」の姿があった。

地下に眠る絶景が “たまらない” もう一つの理由。

この写真を見たことがある人は多いだろう。春日部市の地下50mの地点に建設された「首都圏外郭放水路」。世界最大級の地下放水路と言われる施設である。

洪水対策のみを目的としていることから、平常時は空洞となっているこの施設。見学会に予約すれば、誰でも中を見せてもらうことができる。今回は取材ということもあり、特別に「未開放エリア」も含めて案内していただいた。

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のどかな芝生を歩いていくと、凸如として現れる地下への扉。男の中の少年の心にほとばしる熱いパトス。その地下には巨大なジオフロントが広がっていて汎用人型決戦兵器を秘密裏に開発していそうな気配がある。

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扉を開けると、ひんやりと冷たい空気が吹き抜ける。地上から116段続く階段を降りていくと、さらに濃く深まる冷気、次第に明らかになっていく全貌。最下層まで辿り着くと、広大な空間に、巨大な柱が立ち並ぶ「地下神殿」のような姿があった。

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それにしても広い。あまりに広すぎて奥のほうは暗闇に溶けている。

周辺に地下水があるため、このような巨大な箱を地下に埋めても、お風呂で桶を沈めたときのように浮かび上がってしまう。それを押さえ込んでいるのが「パルテノン」と形容される柱である。その数なんと59本。なんと1本500トン。

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真正面から見ると丸い柱に見えるが、実は長細い「長円形」。これは、川の流れに対して水の抵抗を受け流すためだという。

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それもそのはず。増水時には「立坑(たてこう)」と言われる穴から川の水が入ってくる。この立坑だけでもスペースシャトルがすっぽり収まる大きさだが、それが全部で5本あり、全長6.3kmにおよぶ1本の長い地下トンネルでつながっている。その終着点がここである。

そう、ここは神殿でもなければ、地下に水を溜めこむだけの貯水槽でもない。増水した川から逃がした水が流れる「地下の川」。上流から次々と洪水を飲み込んで、この巨大空間で受け止める。そして、安定した下流へと調圧しながら放水していく場所なのだ。見た目にもたまらない絶景だが、溜めない、 ”溜まらない” 絶景なのである。

合理性を追求するほど美しくなる技術の芸術。

まるで、観賞用として見られることを計算していたかのような美しさ。しかし、あくまで洪水に対する耐久性と合理性を追求した結果である。

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見よ、この写り込みの美しさを。「地下に隠されたウユニ」と言いたくなる絶景がたまらない。そして、天井から差し込む光の筋、温度差によって現れる幻想的な霧など、来るたびに変わる表情もまた、たまらない。

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あなたがもし、この場所を知っていながら訪れたことがないならば、今はチャンスかもしれない。

2016年5月10日現在、通算稼働回数はちょうど100回。台風18号による増水時が99回目、その後にもう1回、と最後に稼働したのが昨年の9月。11月に年に一度の大掃除が行われたままの美しい状態が保たれている。

これが、ひとたび稼働すると、川の水が流れこんで土砂が溜まる。稼働が終わるとすぐに簡単な掃除は行われるものの、今ほど綺麗な状態ではいられないだろう。これから台風シーズンにかけて稼働する可能性も高まるので、この機会にぜひ訪れてみてほしい。

地下神殿の奥に広がる暗闇。見えないところが “溜まらない”。

ここから先は、通常の見学会では立ち入ることができない場所を紹介しよう。撮影も許可していただいたのだが、“溜まらない”理由はまさにその場所にあった。まずは、地下神殿の奥に溶けゆく暗闇。その深淵を覗かせてもらう。

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その場所には、取り込んだ川が最後になだれ込む「出口」があった。この奥には高速回転する巨大スクリューがあり、川の水を巻き上げることで地上へ放出するという。

というわけで、この真上にエンジンルームがある。航空機のエンジンを改良して使用しているのだが、そのエネルギーはすさまじく、小学校の25mプール1杯分を「1秒」で放出する。

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とはいえ、これまでは全力を出す機会も少なかったという。4号機まであるエンジンのうち使用するのは2台。多くても3台までで、だいたいは1日も必要とせず放水を終えていた。

しかし、冒頭の台風18号による増水はすさまじく、完成して以来初となる4台フル稼働。それも4日間ぶっ通しで動き続けたという。結果、過去最多となる約1900万立方メートルを放水。オリンピックサイズのプール5100杯分もの増水を逃がしきったのだった。

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そもそも、この辺りは洪水が起きやすい場所だった。昭和22年の台風9号(カスリーン台風)では町ごと浸水したところも。首都圏にも甚大な被害が出た。そこで、総工費2300億円をかけて建設したのが「首都圏外郭放水路」。完成して10年。被害を防いだ額は約1兆4000億円と言われている。もしも、この放水路がなかったら、春日部も、その先にある首都圏も、浸水に沈んでいたかもしれないのだ。

この地には、こんな伝説も眠っている。

江戸時代、この町の米問屋に心根の優しい主人がいた。ある夜、旅のお坊さんを見かけると「よかったら、うちで泊まっていってください」と声をかけてあげたそうな。翌朝、お坊さんはお礼の印に「火伏の龍」と書かれたお札を置いていき、主人はそれを家に貼っておいた。それからしばらく経ったある日。町が大火事に見舞われて、米問屋だけを残してすべてが焼けてしまった。そのとき町の人たちは見たという。燃え盛る炎から米問屋を守るようにうずまく龍の姿を。

業火から家を守った「火伏の龍」のように、洪水から町を守る「首都圏外郭放水路」。長い長いトンネルが連なる先にこの空間がある姿。それを引いて見てみると。その姿はまるで「龍」のように見えるのだった。

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文章:志賀章人
写真:杉浦弘樹

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