TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

ラオスにいったい何があるというんですか? /村上春樹

   

さて、いったい何がラオスにあるというのか?良い質問だ。たぶん。でもそんなことを訊かれても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。

「道端の人たちのリアル」を知りたいんだ、ぼくは。

村上春樹の小説は読んでも、紀行文は読まないという人も多いだろう。少なくとも、ぼくはそうなのだが、この本に関してはタイトルに惹かれて読んでみた。しかし、冒頭の文章はメモしていたので覚えていたが、その他の文章はほとんど何も覚えていない。

先に断っておけば、ぼくは村上春樹の小説が好きだ。よく調律されたピアノのように狂いのない文章。うなる比喩。せまる緊迫。深まる知識。1ページ単位でどこを読んでもおもしろい。けれど、一冊を振り返って見ると、起承転結がないからか、どうにもお話が思い出せない。結末を覚えていないから、何度読んでもおもしろい、とも言えるのだが。

紀行文も同じで、あとには何も残らなかった。その場所に行ってみたいとも思わなかった。どうやら、ぼくが好きな紀行文とは違うみたいだ。では、どんな紀行文が好きなんだろう。「旅ブック」として、いろいろ読んできたが、ベストは川内有緒さんの「バウルを探して」だ。以前、「パリの国連で夢を食う」というエッセイが好きだと書いたことがある。

では、何が違うのか。文章の上手さで言えば、ぼくの中では両者とも最上級。違うのは、その内容というか「視点」だと思う。いいレストランとかどうでもいい。作家や編集者との再会なんてどうでもいい。ぼくが知りたいのは、その国の「道端の人たちのリアル」なのだと思った。最近は、旅をしながら雑誌を編集する人が多い。「KINFORK」みたいなテイストで、キレイな写真とともに、その土地でものづくりをしている「人」にフォーカスした本が多いが、ぼくはもっと泥くさくて、旅くさい、「TRANSIT」テイストが好きだ。

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キューバにいったい何があるというんですか?

冒頭の文章に戻ろう。なぜメモしたかというと、これには全くその通りだと共感したからだ。最近はよく「キューバに行っておくべき」と言う声を聞く。カストロの時代が終わり、アメリカ資本が本格参入する前に「社会主義」という生きた遺産や、半世紀前のまま時間が止まったような古い車が走る町並みを見ておくべきだ、という話。

しかし、社会主義だなんだ、というのはキッカケでしかないのだ。資本主義社会が入ってくることで、キューバの人たちの暮らしがどう変わっていくのか。ぼくは、そのドラマが見たいし、書きたいと思う。そこに、かつての日本を見たいのかもしれない。黒船、あるいはGHQが入ってきたときに日本で何が起きたのか。その歴史を体感したいのかもしれない。そして、社会主義に生きる暮らしを「道端視点」で書いてみたい。そう思うのだった。

とにかく、その問いは、「旅して何になるというんですか?」という問いに聞こえる節がある。ニュースや絶景写真にどれだけ接していても、それはいわばフィクションと変わらない。道端の人たちに出会って、話をして、頭の中の真っ白な地図に、線を書き、色を塗る。それは、訊いて描けるものではない。実際に行って、感じて、ひとりひとりが形作っていくものなのだ。

そして、ぼくが思う「旅の価値」とは、「旅のあと」にあると思う。一度でも行ったことがある国のニュースは自分のアンテナに引っかかるようになる。学生時代にシリアに行ってなかったら、いまのシリアを気にすることも、「サイレンナイト」「ボクの黒歴史と、中東の黒歴史」を書くこともなかっただろうし、ニュースの裏側を読もう、自分の意見を持とう、とも思わなかったと思う。つまりはそういうことだーー《つづく》

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