TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

サイレンナイト〜今日も聖歌をかき消してサイレンは鳴り響く〜

      2016/11/23

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2007年12月24日のクリスマス・イブ。

僕はイスラエルのパレスチナ自治区にある「ジェニン」にいた。2002年にイスラエルによる大量殺戮がおこなわれた町だ。

イスラエルには、キリストが生まれた「ベツレヘム」という町もあるのだが、この国に住む人の75%がユダヤ教徒、20%がイスラム教徒。キリスト教徒にいたっては、わずか2%にも満たないため、クリスマスといえども、ほとんどの地域ではなんてことない平日なのだ。

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ジェニンもイスラム教徒の町なので、クリスマス色というものは一切ない。それでも町には「いつも通り」の賑わいがある。

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事件当時は完全に壊滅させられたというが、そこは人の底力。それを思わせない町並みだった。サダム・フセインが復興支援に努めたことも大きかったらしい。見方を変えれば、フセインだって正義の味方。少なくともジェニンで暮らすイスラム教徒は本当にやさしい人ばかりだった。

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しかし、話を聞かせてもらうと、穏やかながらも戦争の影が表情に陰る。町の人に連れられて「ジェニンキャンプ」と呼ばれるエリアを訪れた。当時、難民キャンプとなっていたわずか1km²の地を、30台あまりの戦車で一斉砲撃されたとも言われる地点だ。

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廃墟や瓦礫、弾痕がいまだに残る。いたるところに兵器を持った兵士たちのポスターが貼られ、壁には「俺たちは屈しない!」といったメッセージが刻まれている。

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子供たちが描いたとおぼしき落書きも銃器ばかり。

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僕も昔、壁に落書きをしたものだが、銃なんて遠い世界にあるもの。どう描いても、おもちゃの水鉄砲の絵にもならなかった。しかし彼らにとってそれはリアルなのだ。いやに精巧で、それでいて稚拙さの残る、不吉な落書きが並んでいる。

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それだけじゃない。子供たちはモデルガンで戦争ごっこをして遊び、テレビゲーム屋にも戦争アクションばかりが並んでいる。

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これもプロパガンダと言えるのかもしれない。事件当時に生まれた子供も、今となっては13歳。こうして憎しみが継承されていくとしたら、これほど危ういことはない。中国や韓国と日本のそれとはわけが違う。

世界では今もなお、戦争が続いているのだ。

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ジェニンからの帰り道。僕が乗っていた乗り合いタクシーは何度も検問で止められ、その度に、完全武装のイスラエル兵に囲まれた。兵士の中には女性の姿も多く、年齢も大学生だった僕と同じくらいに見える。しかし、彼らの目はマジだ。他の国の兵士や、日本の警察のような「仕事だから」という要素は微塵もない。目つきだけではない。銃の引き金にも常に手が掛かっている。

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あきらかにアジア人である僕はパスポートを取り上げられておしまいだったが、乗り合った他の人たちは車から降ろされ、横一列に並び、手を上げさせられていた。そして全身をくまなくチェックされていく。対象がアラブ人だと、さらに執拗なチェックが待っていた。しばらくして、放り投げるようにして返された赤い日本国のパスポートが、この地に来るべきではない “よそ者” であることを警告していた。

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キリストが生まれた日を祝うクリスマスを、キリストが生まれた地で迎えてみたい。その夜はベツレヘムに行ってみることにした。ベツレヘムという町もパレスチナ自治区にあるため、いくつもの検問と、ベルリンの壁のような壁を越えていかなくてはならない。その向こう側でも兵士たちの監視は続いていて、何台ものパトカーや救急車が僕らの車を追い越していった。

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キリスト聖誕祭で賑わう広場の奥に、聖誕教会がある。キリストが生まれた馬小屋をすっぽり覆い囲むようにして建てられた大きな教会で、この日ばかりは世界中から集まった熱心なキリスト教徒たちが人だかりを作っていた。パレスチナ解放機構のアッバース議長も参列していて、大量の護衛兵たちが銃器をぶら下げていた。

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クリスマスのカウントダウンは、ささやかなものだった。ニューヨークのカウントダウンとは比べるべくもなく、規模でいえば横浜中華街の春節ぐらいのものだ。

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ミサが終わると、人だかりは速やかにベツレヘムから姿を消した。まるで何かの間違いだったみたいに。ユダヤ教徒のイスラエルと、イスラム教徒のパレスチナ、それぞれの兵士に囲まれたキリスト教徒のクリスマス。お祭りどころではないのかもしれない。そのころには議長の姿もなかったものの、兵士の数は一日中、減りはしなかった。

パレスチナ問題は、それから8年経ってもなお解決の糸口が見えていない。
今日も聖歌をかき消してサイレンは鳴り響いている。

あとがき

文章というのは「業」である。むしろ「拷」か。拷問の「拷」。書いても書いてもキリがない。ときに辞めてしまいたくなるほどに。

かつて「Travelers Box」に寄稿していた記事は、最初にして、最大にして、最愛の旅となった「留年バックパッカー時代」に書いていた日記を、8年ぶりに読み返しながら加筆することが多い。これがまるで別記事に、人でいうところのまるで別人に生まれ変わる。完全にして、当然にして、必然でなくては困るぐらいではあるのだが、コピーライターになる以前に書いていた文章だ。「どうやって書けば伝わるか」を考え続けた8年間は無駄じゃないようで、読み返してみると幾つもの問題点が目につくのである。それに気づけるのも嬉しいものだが、同時に、いま読んでも「悪くない」と思える点もあるのである(それもまた数年後には問題点に映るのかもしれないが、それはまた次の話)。この「悪くない」と思える感覚が嬉しくて、この「文章を書く」という、キリがなくてシメがない、だがシメキリだけはある、この仕事が愛おしくてたまらなくなるのだ。

この「サイレンナイト」は「悪くない」と思えるところが多く、これまでも何度か改訂してきた記事だ。このブログでも数年前に書いたことがあるのだが、これを機にアップデート、更新ということにする。クリスマスに読んで気持ちがいい記事ではないかもしれないが、クリスマスをきっかけに、ぼく自身が思い出す、皆さんにも思い出してほしい記事でもあるのでした。

 

 - トラベルエッセイ, 留年バックパッカー