村上春樹の文体に引っ張られる「バーボン・ストリート」
2018/01/04
長く船に揺られ続けると、陸に降りたあとも波の余韻が残っている──村上春樹を読んだあとはいつも文体が引っ張られる。不快ではない。むしろ心地いいぐらいだ。氏の文体の波にのまれ、そのリズムに身をゆだねることで、自分の文体では語れなかった心の動きに、かたちを与える言葉がスルスルと生み出されていく。書き終わってみれば、それは自分の言葉でないようでありながら、しかし確かに自分の心の奥底にあった気持ちだと感じる。それはまるで、地上から刺す一筋の光に導かれるように浮上して、水面からぷかりと顔を出したような言葉なのだ。
ぼくが読書に目覚めたのは大学時代。友人から「ノルウェイの森」を手渡されたことにはじまる。バルザックやダンテ、ジョセフ・コンラッドあたりならよかったのだけど、嘘をついても仕方がない。ありふれたエピソードだが、村上春樹の小説による読書体験がぼくの人生を動かした。ノルウェイの森に出てくる「永沢さん」という人物に強烈な憧れを抱いたのだ。永沢さんは、当時のぼくと同じ大学生だった。ただし、東大法学部で、のちに外務省に行くほどのエリート。スマートで女遊びにも長けており、パーフェクトな天才に思われるが、その裏にある不断の努力を隠さない人物だ。作中で、永沢さんは主人公の「僕」と、こんな会話を残している。
「でも永沢さんはどうするですか、ハツミさんのこと? 研修のあとで海外勤務になって何年も帰ってこないんでしょ? 彼女はどうなるんですか?」
「それはハツミの問題であって、俺の問題ではない」
「よく意味がわかんないですね」
彼は足を机の上にのせたままビールを飲み、あくびをした。
「つまり俺は誰とも結婚するつもりはないし、そのことはハツミにもちゃんと言ってある。だからさ、ハツミは誰かと結婚したきゃすりゃいいんだ。俺は止めないよ。結婚しないで俺を待ちたきゃ待ちゃいい。そういう意味だよ」
「ふうん」と僕は感心して言った。
「ひどいと思うだろ、俺のこと?」
「思いますね」
「世の中というのは原理的に不公平なものなんだよ。それは俺のせいじゃない。はじめからそうなってるんだ。俺はハツミをだましたことなんか一度もない。そういう意味では俺はひどい人間だから、それが嫌なら別れろってちゃんと言ってる」
永沢さんはビールを飲んでしまうとタバコをくわえて火をつけた。
「あなたは人生に対して恐怖を感じるということはないですか?」と僕は訊いてみた。
「あのね、俺はそれほど馬鹿じゃないよ」と永沢さんは言った。「もちろん人生に対して恐怖を感じることはある。そんなの当たり前じゃないか。ただ俺はそういうのを前提条件としては認めない。自分の力を百パーセント発揮してやれるところまでやる。欲しいものはとるし、欲しくないものはとらない。そうやって生きていく。駄目だったら駄目になったところでまた考える。不公平な社会というのは逆に考えれば能力を発揮できる社会でもある」
「身勝手な話みたいだけれど」と僕は言った。
「でもね、俺は空を見上げて果物が落ちてくるのを待ってるわけじゃないぜ。俺は俺なりにずいぶん努力をしている。お前の十倍くらい努力してる」
「そうでしょうね」と僕は認めた。
「だからね、ときどき俺は世間を見まわして本当にうんざりするんだ。どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう、努力もせずに不平ばかり言うんだろうってね」
僕はあきれて永沢さんの顔を眺めた。「僕の目から見れば世の中の人々はずいぶんあくせくと身を粉にして働いているような印象を受けるんですが、僕の見方は間違っているんでしょうか?」
「あれは努力じゃなくてただの労働だ」と永沢さんは簡単に言った。「俺の言う努力というのはそういうのじゃない。努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ」
「たとえば就職が決まって他のみんながホッとしている時にスペイン語の勉強を始めるとか、そういうことですね?」
「そういうことだよ。俺は春までにスペイン語を完全にマスターする。英語とドイツ語とフランス語はもうできあがってるし、イタリア語もだいたいはできる。こういうのって努力なくしてできるか?」
「お前の十倍くらい努力してる」そんなセリフを堂々と言われて、嫌なヤツだと思わせない。「そうでしょうね」と認めざるをえない説得力を持つ人物。それが永沢さんなのだ。女性には嫌われるかもしれないが、その揺るぎない人生哲学が当時のぼくには魅力的に映った。永沢さんみたいになりたい。彼のような教養に満ちた大学生になって、彼のような気の利いたセリフが言える男になりたいと思った。
たとえば、主人公が「永沢さんはどんな作家が好きなんですか?」と問う。すると、彼は即座にこう答える。「バルザック、ダンテ、ジョセフ・コンラッド、ディッケンズ」そして、「あまり今日性のある作家とは言えないですね」と言う主人公に、「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる」と切り返すのだ。
こんなこと、実際に口にしている人がいたら中二病である。もしかすると、ぼくは大学生にして中二病を発症してしまったのかもしれない。でも、それは仕方のないことだと思わせてほしい。はじめてちゃんと読書した本が村上春樹だったのだから。それからのぼくは村上春樹の全小説を読みあさり、名ゼリフやメタファーをメモしたノートは4冊目に到達しようとしていた。
人に見られる文章を書きはじめたのも、ちょうどその頃だった。当時のmixiに、ぼくが書いていた文章は、村上春樹の文体に完全に引っ張られていた。なにしろぼくは写経するほど、村上春樹の文体に溺れていたのだから。まるで赤子が言語を学んでいくように、いや、赤子が母親の胎内で養分を吸い上げていくように、氏の文体がぼくの体に染みこんでいた。
とはいえ、「村上春樹の文体が」だなんて偉そうなことを言うには、ぼくの文章はあまりにも拙い。当時のぼくの文章を読んだ人はそのことに気づいたのだろうか。もしかすると、村上春樹の影響下にあることを意識していたのは、ぼくの生まれたての自意識だけだったのかもしれない。しかし、少なくともぼくは、その人の文章を読めば、「この人は村上春樹を読んでいる人だな」と分かってしまう。ハルキストと呼ばれる人たちは、ぼくと同じように文体が引っ張られているからだ。同じハルキストはそこに気づいてしまうのだ。自覚的であれ、無自覚であれ、世界は、村上春樹の文体で満ちている。
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小学生のころ、全国の小世界で起きているのと同じように、クラスで一番足が速い男の子がモテていた。その男の子が「チック」であった。ときおり「バチン!」と強くまばたきをする、あの仕草のことだ。どういうわけか、ぼくはそれがカッコイイと思った。そして、彼のチックを真似するようになった。彼から盗んだチックという仕草は、30歳を過ぎた今でも後遺症のように残っている。このようにして、他人の仕草を盗んだ記憶というのは、誰もが持っているものなのだろうか。
大学生のころ、アルバイト先で「大人だなぁ」と憧れていた先輩がいた。その先輩には「手を大きく叩きながら笑う」という癖があった。バチバチ!と音を立てるわけではないが、少しオーバーなくらい大きな仕草で手を叩く。「あなたの話はとても面白いよ」そんなサインを出しているようで、ぼくはその話の聞き方を素敵だと思った。そして、先輩の真似をするようになった。
まずは、先輩とは接点のないコミュニティで試してみるわけだが、はじめて人前で披露するときは「照れ」というか、先輩の真似をしている自分をどこか客観的に見ている自分がいて、わずかな罪悪感を覚えたりもする。しかし、それは最初だけ。2度目、3度目、4度目になるころには、完全に自分のものにしてしまい、気がつけば、その先輩の前でも無意識で手を叩きながら笑うようになる。
好きな芸能人の髪型を真似するような行為と似ているのかもしれない。どちらも「憧れの人みたいになりたい」という気持ちからくる行為であるはずだ。しかし、ぼくが言いたいのは、もっと自然で、無自覚的で、身近な行為のことだ。髪型やファッションとは違って、盗んだ仕草は良くも悪くも一生ものになる。ここでふと思うのは、もしかするとぼくの仕草に憧れてぼくの仕草を盗んだ人も過去にいたかもしれないということだ。しかし、ぼく自身は「真似された!」と気づいたことがない。きっと、その仕草の多くは、本人にとっても無自覚な行為なのだろう。
その意味では、親兄弟にはどうしたって似てくる、という話に近いのかもしれない。30歳を過ぎてから里帰りしたある日、ぼくは弟が母親にしゃべっている声を聞いて驚いた。弟の話し方があまりにも自分と似ている、と。語尾をおさえるトーンや、会話の間、つまり、口調が似ているのだ。またある日、母親の姉である叔母さんに電話したときにもびっくりした。母親が電話に出たのか、と思うぐらい叔母さんの声が似ていたのだ。そのときは声が似ていると思ったが、おそらくは口調がそう思わせたのだろう。このように親兄弟に似てしまうのは、友人の仕草を盗むより、さらに無意識の深層で盗んでいるからなのかもしれない。つまり、友人から仕草を盗むという行為は、ちょうど親兄弟と芸能人のあいだにある。ぼくの場合は、そこに自覚的だったように思うのだ。
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ぼくの読書体験は30歳を過ぎてから大きく変わった。「読書革命」と言ってもいいほどの出来事だった。それは、沢木耕太郎の本に出会ったことがキッカケだった。もちろん、学生時代に「深夜特急」ぐらいは読んだことがあった。しかし、ぼく自身が職業的ライターとなり、その参考書として、あらためて沢木さんの書籍を、沢木さんが書いた年代順に読んでみようと思った。このときだった。ぼくの読書に革命が起きたのは。
文体よりも、「沢木耕太郎という人物」に引っ張られる。著者の思想を知り、その本が書かれた時代や段階、背景を知り、その上で本を読むこと。つまり、本を読むのではなく、その裏にいる書き手を読むということ。そのことを教えてもらったのが沢木さんの一連の書籍だった。つまり、「永沢さん」というキャラクターではなく、書き手である「沢木さん」に憧れるようになったと言えるかもしれない。これには沢木耕太郎が小説家ではなく、ノンフィクションの書き手であるという、作家の資質によるところも大きいだろう。
いわゆる文体にしても、村上春樹のようなクセはなく、ニュートラルな文体だ。しかし、その裏には沢木さんの呼吸がある。文字として目に見えないリズムまで感じられる。そこに気付いたとき、作家の人格に触れることこそが「読書」という行為なのかもしれないと、ぼくはようやく理解したのだ。その感覚を体得してから、ぼくの読書のレベルは格段に上がった気がする。
沢木さんの書籍の中に「無名」という本がある。氏にとって父親とはどんな存在だったのか。そのことを描いた私小説のような私的ノンフィクションだ。その本の最後に、「幼時の記憶」という沢木氏の父親が遺した文章が掲載されている。ぼくはそれを読みながらにして気づいた。「まるで沢木さんのような文体じゃないか」と。すると、沢木氏はやはりこう結んでいた。
この「幼時の記憶」を読んで、私は不思議な思いに捉えられた。あまりにも自分の文章とよく似ているような気がしたからである。用いられている字句には父独特の好みがあるが、文章のリズムや流れなど、びっくりするほど似ている。とりわけ、最後の数行など、自分が書いたのではないかと思えるくらいのものだった。これまでも体格や容貌については父に似ていると指摘されることがあり、それを不思議とは少しも思わなかったが、この類似には全懸驚かされた。何と言っても私は父の文章を一度たりとも読んだとこがなかったのだ。
どうしたって親兄弟としゃべりかたが似るように、文体もまた似てしまうものなのだろうか。ぼくは、父親の文章を読んでみたいと思ったが、ぼくの父親は文章を書くような人間ではない。念のため確認してみたが「ない」と言う。それも無理はない。ほとんどの人は文章のひとつも残さないものなのだ。ぼくが職業的ライターであるがゆえに、当たり前のように日々、文章に触れたり書いたりしているが、ぼくが一切の算数をしなくなってしまったように、文章を書かなくなってしまった人もいるわけだ。
一方で、こういう話もある。沢木さんがはじめて書いたと言える文章は大学の卒業論文なのだという。ぼくも、いつか読んでみたいと思っていたが、書籍として売られているわけではない。ただ、幸運なことに、ぼくは沢木さんと同じ横浜国立大学出身である。その特権をいかして教授に懇願しに行くか、そう思っていた矢先、である。
「SWITCH」という雑誌のバックナンバーに沢木さんの卒業論文が全文公開されていることを知ったのだ。さっそく読んでみて驚いた。昔から文才があるんだなぁ、というような話ではない。沢木さんの文体は今も昔もほとんど変わっていない。そのことに驚いたのだ。すると、沢木氏はやはり、自身もそのことに驚いたと結んでいた。
沢木氏は自身の文体が変わっていないことに悪い気はしなかったと言う。ぼく自身も、そう思うことがある。ぼくはといえば、卒業論文に半年間の旅における旅日記を書いた。そのときの文章を読み直してみると、その後コピーライターになり、トラベルライターに近いこともやるようになった今の文体が、大きく変わったかといえば、変わっていないのだ。もちろん、単語の選びかたやひらがなの使い方などの技術は磨かれた気がする。しかし、もっと根底に流れるぼく自身の文体というものは変わっていないのだ(そして、そこには村上春樹から盗んでしまった文体が潜んでいる)。
人の性格は変えられないように、文体も変えられないものなのだろうか。しかし、性格は不断の努力によって変えられる部分もある。それは、ちょっとした整形にすぎないかもしれないが、もともとの顔は変えられないけど、一重を二重にするぐらいにはできるのだ。仕草を盗むという行為、それは、本来の自分から逸脱しない範囲で、本能的に自分にふさわしい仕草を取り入れているにすぎないのかもしれない。その意味で文体というのも、もともと自分の中に流れている文脈は変えられないが、枝分かれを増やすことでアウトプットを変化させることぐらいはできるのかもしれない。
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ところで、「バーボン・ストリート」という沢木さんのエッセイ本がある。その解説を書いているのは山口瞳。題して「スカッとさわやかサワコーラ」という文章を寄せている。解説、と書いたが、解説にはなっていない。不思議な文章だなと思いながら、二度目、三度目と、読み続けるうちに気づいたのである。これは、バーボン・ストリート本編で使われている文体を真似ているということに。
バーボン・ストリートという本に「エッセイ賞」を与えた選考委員であったという山口瞳。その解説文には、お前がやっていることは面白い。でも、やろうと思えば俺にもできるんだぞ。そう主張しているようにも感じられる。しかし、ぼくはこうも思う。沢木さんが発見したこの文体には、真似をしたくなる力がある。しかるにぼくもまた真似てみたのであった。まるで関係のないような挿話を結びつけながら、なにかしらのひとつのまとまりを感じるエッセイという手法を。
バーボンストリートの「文体」と書いたが、ここで言う文体はやはり「手法」と言うべきかもしれない。それが文体であれば、たとえ山口瞳であっても真似できるものではないはずだ。手法は真似することができても、文体を真似ることは容易ではない。ぼくが真似してきた仕草というのは、文体なのか、手法なのか。そもそも仕草とは自分にふさわさしいと思い、取り入れて、無意識レベルで毎日実践して体に染み込ませるような行為であるはずだ。だから、ぼくは今でも少しチックだし、大きく手を叩いて笑う。そして、村上春樹の文体に引っ張られ続ける。