イントゥ・ザ・ワイルド
2013/08/18
学生バックパッカーだった僕にとって、忘れられない映画。
旅に「じぶんさがし」や「しあわせさがし」を
求めることを、僕は恥じるべきではないと思う。
日本には、考えなくても生きていける人生のレールがある。
大学を卒業して、会社に就職して、定年まで守られて過ごす。
同時に結婚して、子供が生まれて、人並みの幸せに安心する。
デパ地下の“幕の内弁当”みたいにキレイにまとめられた「しあわせ」。
『それで本当にいいのか?』
その疑問を抱いてしまった人は、不幸のはじまりとも言える。
何も気付かず考えないまま、レールに乗り切ってしまえば、
それはそれで「しあわせ」なはずなんだ。
でも、一度気付いてしまったら、もう見て見ぬふりはできない。
どれだけ気付かないフリをしても逃げ切れるものではない。
だから、悩む。悩み続ける。
自分にとっての「しあわせ」とは何か、なんて、
本を読んでも、偉い人に聞いても、わかるもんじゃない。
それらは、比較したり、取り入れたりするものであって、
根本となる自分のしあわせは自分で築かなくてはならない。
だからこそ、若いうちにそんなレールから外れて、旅をして、
自分の選択に責任を持ち、人生のレールを自分で築かなくてはならない。
そこに気づき、考えはじめるきっかけが、必要なのかもしれない。
「海外へ行くこと」が大切なのではなくて、
日本人や日本語、自分のまわりにある一切の常識から離れ、
何の雑音もないところで、ひとりになる時間が必要なのだ。
無人島にこもってもいいけれど、海外旅行のほうが話ははやい。
言葉が通じなければ、必然的に自分と対話する時間が増えるし、
旅をしながら、日本とは違う「しあわせ」のサンプルを集められる。
考えているうちに、ふと悟りを開くように、自分の生きる道がわかったりする。
お坊さんが旅をするのも、きっと同じような理由なのだろう。
すべての宗教には、お祈りの時間がある。
それは、自分と対話し、過去を見つめなおし、未来について考える時間。
つまり、自分にとっての「しあわせ」をチューニングする時間だ。
そうした精神面でのインフラが、まったく整っていない日本だからこそ、
旅をすることで考える時間をつくり、
自分のしあわせは、自分でケアしていかなくてはならいと思う。
日本や会社がかけてくれる「しあわせ」の魔法は、
もう効力を失いかけているのだから。