TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

お金じゃない何かで恩返しがしたい|旅で問われる人間力

      2016/11/23

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「My wife is finish.」

 

積み木が崩れるように、ばらばらに泣き崩れながら彼はそう言った。

仕立てのいいシャツに、きちんと折り目の入ったパンツ、左耳には上品なピアスまで。そしてヒングリッシュ特有のトゲのない流暢な英語を話す彼は、インド育ちのインド人。

インド北部の山間にあるアトリエで、プロダクトデザイナーとして作品を作り続ける彼は、アイルランド人の女性と結婚していた。
彼女もまたデザイナー。パリやロンドン、ニューヨークと世界を飛びまわる彼女とは、離れている時間のほうが長い。それでも活躍する妻の仕事を誇りに思い、自分の作品より自慢げに僕に披露してくれた。

今朝だって、冬のガンジス川に頭まで浸かりながら、「彼女が幸運でいられるよう、毎朝こうして祈ってるんだ。寝る前には、写真に向かって一日の出来事も話してる」そう教えてくれたところだった。

 

そんな彼に突然の電話。

それも5分にも満たない業務連絡のように思えた。しかしそれは、雲ひとつない空から嵐を告げる一滴が頬に触れた、そんな予期せぬ災難だった。

 

「彼の奥さんが死んだ。」

 

はじめに僕はそう思った。

そばにいたフランス人の女性が何やら励ましている。

彼女の名前はソフィ。彼女と僕は、彼を通してインドで出会い、同じ宿に泊まりながら数日間をともに行動していた。彼との付き合いの長さは同じくらいのものだったが、彼女が言葉を投げかけるその傍らで、僕は何も言えなかった。

 

“英語がしゃべれないから”

自分に言い訳をしている自分が丸見えだった。そうじゃない。相手が日本人だとしても何も言えやしない。

嗚咽をのどに詰まらせそうな勢いで、机に伏せて泣きじゃくる彼に、ソフィが声をかけ続ける。僕はただ無言で彼の背中をさすりながら考えていた。

“どうして僕は何も言えないんだろう?”
“ドント マインド なんて言えるわけない”
“テイク ア レス? ドン モア クライ?”

そこには、神妙な顔つきを崩さないようにしている、だけ、の自分がいた。それは自分の顔のいちばん嫌いな部分を鏡でじっと見つめているような時間だった。

 

彼をひとまず部屋に帰らせ、代わりにソフィとともにアトリエの店番をすることになった。時計の針を数えるような沈黙のあと、ぽつり、ぽつり、と一滴ずつ言葉を交わす。

彼女の励ましの内容から感づいてはいたのだが、どうやら奥さんは死んだわけではないらしい。要約すると、「好きな人ができたから別れたい。」つまり離婚を申し立てる電話だったわけだ。それも、バリのビーチから。

僕は思った。

「死んだ」に比べれば「離婚」なんてイージーな内容だ。まだ手続きもしてないし、会って話をするチャンスをつくることもできる。トレンディドラマなら、「行けよ! 今すぐ!」と、お人好しの親友が彼の背中を押すだろう。

しかしソフィは言った。

「それは西欧の考え方だ。この国に “divorce” という言葉はない」と。

長くインドを旅してきて、インド人の「愛」に対する哲学は、宇宙のように底知れないと感じる場面は僕にもあった。

「結婚したら一生添い遂げるもの」、「結婚相手は神のおぼしめし」と語る姿は、旅行者に見せる軽薄な一面とは一転して真剣そのものだったし、事実、お見合い結婚がほとんどなのに離婚率は1.1%とすら言われているのだ。

ソフィは続ける。

「私たちは所詮旅人なのよ。今は彼とともに居るけれど、私たちは結局またどこかへ行く。そんな私たちに何ができるというの?」

僕はそんな彼女にすら言葉を返せなかった。

 

お世話になった人に、自分は何ができるのか?

何も言えなかった自分に、どうしてここまでこだわっているのかと言うと、彼には本当にお世話になったからだと思う。

睡眠薬を盛られて意識を失くしていた僕を救ってくれたのも彼だった。その恩に何も報いることができなかったことが悔しいのだ。

そうでなくても、食事をごちそうになったとき、車に乗せてもらったとき、家に泊めてもらったとき。そうして現地の人に親切にしてもらったとき、お金じゃないカタチで自分に何が返せるか。旅には、そうして自分が丸裸になるような瞬間が何度もある。

学歴も、肩書きも、会社名も、何も通じない。ときに「日本人」というアイデンティティすら通じないこともある。

そんなとき、人としての本質的な価値が問われている気がするのだ。
自分はその人のために何ができるのか。

ある人は歌い、ある人は踊り、ある人は描く。何はなくとも、語り合える哲学があり、言語力があってもいいのかもしれない。当時の僕には、そのどれもがないように思えた。

 

それから7年。

今でも、「My wife is finish.」と言いながら泣き崩れる彼の姿を思い出す。その度に、自分は何ができるのか、何を語れるのか。裸の人間力を改めて問いかけられている気がする。

そんなとき、あなたならどうしますか? たとえば、どんな声をかけますか?

★この記事はTravelersBoxに寄稿させていただきました★
★Antennaで“話題の情報”に取り上げていただきました★

 

 - トラベルエッセイ, 留年バックパッカー