TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

劇的紀行 深夜特急

   

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「深夜特急」

沢木耕太郎のその本は、僕の人生を決定的に変えてくれた。当時、横浜国立大学の学生だった僕は、暇つぶしに図書館に行った。そこにあったのが同大学の卒業生だという沢木さんの著作コーナー。タイトルに惹かれてなんとなく手に取ったが最後、気がつけばバックパックを背負ってバンコクのカオサンに立っていた。

そのテレビドラマがあるということは知っていた。観たいと思ったときにはVHSしかなくて諦めていたのだが、つい最近、知り合えたご近所さんがDVDを持っていると聞いて借りることができたのだ。

96~98年に撮られたこの作品は、ドラマであり、ドキュメンタリーでもある。放映当時も話題になったそうだが、今観てもこのような手法は物珍しく感じた。沢木役の大沢たかおさんも、ただの役者ではなく、本当のバックパッカーとしてそこに映っていた。

次第に旅慣れていくその「ドラマメンタリー」に、ぼく自身の姿が重なっていく。ルートが同じだったこともあって、「懐かしい」という感情が次々と湧いてきた。ぼくが旅に出たのはこの撮影の10年後だったが、ほとんど変わらない風景がそこにあった。大沢さんの旅人としての振る舞いも本当にカッコよく見えた。

町に慣れる、といっても行きつけのゴハン屋さんができる程度なんだけど、それでも、行く場所が決まっているのと、迷ったりしないよう様子を伺いながら歩くのとは全然違って、歩き方も颯爽となるものだ。ぼくもイエメンで2週間過ごした時は、町の一員のような気持ちになってサナアの旧市街をめぐり歩いていた。

でも、こういう旅はもうできないなぁ、と思った。やりきった、というのもあるけれど、バックパッカーはやっぱり観察者。現地の人たちと会話をしたり、ゴハンをごちそうしてもらったり、泊めてもらったり、ときにはボランティアめいたことをしてみたり、そこまでやっても観察者だと思う。あくまで「町の一員になったような気持ち」になれるぐらいだ。

ぼくの中の定義では、貯金を使う旅はどこまでいっても観察者なのだと思う。だから、次の旅は生活者として、そこで仕事がしたい。日本からの持ってきた仕事を旅先でこなす、というのもナシではないけれど、できればその町の仕事で、その町の通貨を生活費にして、暮らすような旅をする。それができたら、もっと町にコミットできる。観察者ではなく生活者として、その国を、その町を、もっと深く見てみたいと思うのだ。

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