TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

九龍城には、一度入ると出てこられない。

      2016/04/14

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阿片戦争、辛亥革命、第二次世界大戦、国共内戦。
歴史が動くたびに、多くの難民が香港に押し寄せ、「九龍城」に人がなだれこんでいく。1960年代後半から1970年代にかけて鉄筋コンクリート製に建て変えられたものの、無計画にして無秩序な建設のため、九龍城の街路は迷路と化した。行政権も及ばなかったため、売春、薬物、賭博、海賊版販売、無免許医、この世にあらん限りの違法行為の巣窟となる。

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しかし、1970年代後半から、住民たちが一丸となって自警団を組織。治安改善とともに、コミュニティーが発達していくにつれて、「救世軍幼稚園」をはじめ、小・中学校に相当する施設「龍津義學」、さらには老人ホームに相当する施設まで備えるようになった。幼稚園には身分証がなくても入園することができ、月謝は無料。代わりとに100香港ドルの寄付を募った。「救世軍」の名前の通り、キリスト教に根付いた幼稚園でもあったので、日曜日には教会としても機能したという。

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1984年の英中共同声明調印により、香港が1997年に中華人民共和国に返還されることが決まる。すると、何十年ものあいだ行政が立ち入ることがなかった九龍城にも、香港警察が巡回を行うようになった。その頃には香港のほかの地域よりも、むしろ城内の方が安全であったと伝えられている。

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九龍城が取り壊されたのは1994年。その直前まで0.026km(約200m×150m)の僅かな土地に、5万人もの人々がひしめき合っていた。人口密度にして約190万人/km2。当時にして世界最高と言われる密度であり、畳1枚に3人が住んでいる計算である。

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岩井俊二監督の映画作品「スワロウテイル」のイェンタウン、その九龍城に似た世界観に憧れた人も多いだろう。今はもう取り壊されてしまったにせよ、妄想の中でも旅したい。そう思いながら書籍「九龍城探訪」をアマゾンでポチった。九龍城の写真集としては最高峰で、歴史だけではなく、当時の九龍城内部での生活を200ページを超える濃密な写真で知ることができた。旅人の写真ではなく暮らしに密着したニオイがする写真。どのページも食い入るように隅々まで見入ってしまった。

いま世界にあるすべての建物は、これからもずっとあるとは限らない。香港へ行ったら、九龍城跡地だけではなく、九龍城の面影を残すと言われる「重慶大厦(チョンキンマンション)」での宿泊は欠かせない。

世界でやりたい100のこと@香港
重慶大厦で九龍城のような暮らしに身を置きながら写真集をつくる

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