TRAVERING

なぜ旅に出るのか?そこに地球があるからさ。

見どころは、観光よりもインド人(3日目-1)

      2016/11/23

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南インドの中でも内陸にあるバンガロールから遥か400km。
夜を駆け抜ける寝台バスの終点は「コーチン」という港町。運転手の合図で、「やれやれ…」と重い腰を上げ、重い荷物を背負い…というところだが、今回の僕は手ぶらである。乗ったまま、座ったまま、寝たままの姿で、フットワークもかるがると乗降口から顔を出す。

「SHIGA!」

そのとき、聞きなれない発音で僕(志賀)を呼ぶ声がした。迎えに来てくれたのは「テヌー」と「アチュー」。やけにゴロがいい漫才コンビのような名前だが、テヌーがラシールの弟、アチューはその友人。ふたりとも大学生でヤンチャそうに見える。日本でいうと渋谷でナンパしてそうな雰囲気。握手も早々に一気にナニゴトかを捲し立てられた。

というのも、テヌーの英語はひどくなまっていてうまく聞き取れない。「なまり」だなんてエラそうなことを言える資格はないし、僕の方こそはじめて弾いたバイオリンのごとく不協和音な英語を撒き散らしているわけだけど、通じないときはゆっくり言い直したりする。しかし、インド人の英語には迷いがない。「なんで英語わからないの?」という顔もそこそこに高速ヒングリッシュを大車輪で振り回すのだ。もちろん悪気はない。むしろ英語を使うことを恥ずかしがってきた僕の方こそ間違っているのだろう。こういう経験が帰国後の英語学習を駆り立てる、と、このときばかりは思うんだけどなぁ。

苦労して「朝ごはんを食べに行かないか?」と伝えると、ニカッと白い歯を見せてローカルレストランへ連れて行ってくれた。朝なのに薄暗く、人もまばらな店内。テヌーとアチューが注文したのは「マサラドーサ」。カレー味のマッシュポテトをパリパリのクレープのような皮で包んだお馴染みのインド料理だ。僕も「同じものを」と頼んでみる。
…これが、めちゃウマイ。バンガロールでは、事前に「地球の歩き方」で下調べしたホテル直属レストランのビリヤニを食べに行ったりしたのだが、そんなものより圧倒的にウマイ。やはり現地の人が普段食べてるものを食べるべきだ。

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テヌーたちはマイカーで迎えに来てくれていたので、そのまま観光がてら街中ドライブ。横浜と函館が似ているように、コーチンもまた港町として造りが似ている。外人墓地があったり、海が見える公園があったり、シーバスのような観光船があったり。ガイドブック片手にリキシャを乗り継いでいたら、丸一日かかる観光も、3時間もあれば巡り尽くしてしまった。もちろんガイドまでしてくれる。

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至れり尽くせりをありがたく思う反面、「僕はもう観光で感動できないんだなぁ」と気付かされてしまった。バックパッカー経験者なら誰でも心当たりはあると思うが、30カ国ぐらい旅していると「世界遺産慣れ」する。旅の最後にピラミッドを見ても何も感じなかったぐらいだ。贅沢な話だが、今さら下関ぐらいの港町を見ても何とも思わない心になってしまっていた。
それよりも、僕が気になったのはテヌーの電話中毒っぷりだ。運転しながら、案内しながら、食べながら、常に誰かと電話している。なんならケータイを耳に当てたまま僕と話をしている。ふつうの日本人なら怒るかもしれないが、インドにはインドの文化がある。僕はそういったことにこそ興味があった。
聞くと、通話相手はほとんど家族や友人。「マサラドーサなう」「日本人を案内してるなう」「外人墓地なう」と、高校生がLINEで「俺通信」するかのように、電話でそれを行っているのだ。

場所じゃない、インド人が一番おもしろい。やっぱり僕はそう思う。

 

つづき↓
インド人のイスラム教徒の暮らし(3日目-2)

 - 手ぶらでインド