手ぶらで空港から出られるか?(1日目-3)
2016/11/23
チェックインカウンターでも僕の存在は浮いていた。
「預ける荷物は?」と聞かれるも「ないです」とサラリと答える。「え?」みたいな目を向けられるが「え?」という目で返す。ここで出国を止められることはないはずだが、悪目立ちするわけにもいかない。小動物の顔でやり過ごすべきだ。
それでも「あの」と呼び止めてくるスタッフを「まだ何か?」という顔で振り返る。内心はヒヤヒヤである。
「後ろの方はお連れ様ですか?」
振り返るとすぐ背後には列を詰めすぎたインド人の顔が。
「ち(近っ!)、違います!」
まだ成田なのに、もうインドの気配がした。
機内に乗り込むと、圧倒的なアウェー感。
入国審査からして日本人は少なかったが、まさか1割にも満たないとは。さすがエア・インディア。機内安全の説明も超アナログ。音声にあわせて、添乗員のおじさんたちがラジオ体操のように身振り手振りで説明してくれる。毎朝のハミガキくらい何度も繰り返して来たのだろう。表情に覇気はない。なんなら息も合っていない。
飛行機が助走を始めると、となりに座っていた母娘は両手で水をすくって飲むような動作を繰り返しはじめた。墜落しませんように的なお祈りだろうか?意味不明がいっぱいのインド。そうこなきゃ!と旅のボルテージが高まったところでリフトオフ!
ほどなく機内食が運ばれてくる。久しぶりに英語を使うので緊張する。(チキン…トゥイッキン…)発音を心の中で予行演習する。しかし。
「Vege or Non-vege ?」
そうきたか!インドだ。すでにインドは始まっている。思わず「ノンベジ」とカタカナで答えてしまい、「う〜ん…5点!」という顔でプレートを渡された。デリーで乗り継ぐと、日本人がほぼゼロに。南インドを旅する日本人はまだまだ少ないみたいだ。ローカルな機内に足を踏み入れると、インドのにおいが色濃くなったのを感じる。そうして飛行機で約8時間。夜も23時にバンガロールに到着した。
手ぶらで空港から出られるか?
最初で最後で最大の鬼門。ネットでは、荷物が少なすぎると強制送還されるという噂さえあった。たしかに、手ぶらは怪しい。ビジネスマンに見えなければ、旅行者にも見えない。だったら、一体何者なのだ?と不審に思うのは無理もない。街にさえ出てしまえば、どんな不条理も不可能もなんとかネゴる、いや、ゴネる自信はあったが、空港という国家権力の御膝元では交渉の余地がない。本来なら、荷物の回転寿司を待ちわびる必要もない僕だが、ここはあえて待つことで、人混みに紛れて検問を抜けてやる!……さぁ、いざ!
結果は、ノーチェックすぎてどこに検問があるのかすら分からなかった。さすがインド。想像のななめ下ばかり。しかし、ここで問題が。
手ぶらの旅で最初に必要となるもの。
それは、紛れもなくマニー。マニーがなければ何もできない。空港で華麗にキャッシング、と思っていたのにカードが反応しないではないか。一瞬にして青ざめる。「ちゃんと使えますよね?」と、カード会社に電話してまで確認したのに。裏を取っても裏をかかれる。何ひとつ思い通りに進まないことにウンザリして、もうどうにでもなれ、と感覚がマヒして、ハイになってきて、帰りの成田空港ではアラ不思議。「今まで愚痴ばかり言ってごめんね、日本!ダイスキ!」と、日本人スチュワーデスに、入国管理官に、TOTOに、今すぐ抱きつきたくなる衝動を抑えながらも、W杯ばりに「ニッポンバンザイ」しながら帰ってくるのがインド旅。
仕方なく「帰りの電車賃に」と隠し持っていた現金2,000円を両替。最後の手段が最初の手段になってしまった。下手したら、「バンガロールで2週間2,000円生活」という、黄金伝説もびっくりなバクシーシライフに突入してしまう。……それはそれで、おもしろいかもしれない。
時刻は24時になろうとしていた。空港で眠りたくなる時間だが、市街までバスで1時間30分。一刻も早く両替がしたい。行ってしまえ!と400円のエアポートバスに飛び乗る。総資産は早くも残り1,600円。不安で仕方がない。
市街地のバスターミナルに着いたら、人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人だらけ。多すぎて人に見えないぐらい、人だらけ。
もう深夜2時近いのに、人々が怒号を飛ばしながら、ごったがえしている。そうだ!これがインドだ。かつての記憶が水を得た「ふえるワカメちゃん」のようにムクムクと蘇る。
深夜だからか、手ぶらだからか。ゆうゆうと歩いていると誰も話しかけてこない。けど、心は全然ゆうゆうとしていない。「ATMはないか?」と聞いてみると、話はまわりまわって「俺のタクシーに乗れ」になる。コラコラ、さすがインド人!もう10人以上に声をかけただろうか、という頃には僕の質問も「とにかく、このへんにひと休みできる宿はないか?」に変わっていた。
「あっちのほうにあるよ」という声をつないで、ジリジリと宿屋街に近づいていく。そう、方角さえわかればいい。インド人にそれ以上は期待しない。
たどり着いた場所は、なんとも世紀末。ゴミと廃墟にあふれ、スラム感が立ち込める暗闇に、インド人のギラついた目だけが浮かんでいる。地面にまで人が、犬が、牛が、ゾンビのように横たわっている。頼むからこっちを見ないでくれ。今にも身ぐるみはがされそうだ(1,600円しかないけど)。
身を潜めて歩きながら、やっと良さげなキレイめホテルを発見。しかし、なぜかゲートが閉ざされている。ゲートというには物騒で頑丈そうな鉄柵がこの地の治安を表しているようで恐ろしい。「開けてくれー!」とバルログばりに柵に張り付いていると、となりの建物から人が出てきた。声をかけてくる風ではなかったので、こちらから声をかけてみる。
「このホテル、もう開いてないのかな?」
「うん、もうクローズドだよ。」
「どうして?」
「さぁ。もう夜も遅いからね。」
「え?ホテルなのに24時間営業じゃないの?」
「この時期は人も少ないから。」
「そうなんだ……」
「……うちも宿だけど泊まってく?」
「え?」
「うちの宿のほうがチーパーだし。」
このタイミングでの営業行為。インド人にしては控えめ過ぎる!
「これは、いいひと…かも」
心を許した僕は、部屋を見せてもらうことにした。ゴキブリと対峙する覚悟でおそるおそる扉を開けると……なんと、清潔でピッカピカではないか!記憶の中の北インドとは違う国みたいだ。外観はキレイに見えなかったけど、部屋の中はちゃんとしてる。これで1泊500ルピー(1,000円)なら悪くない。やはり、いいひと!名前は「ラシール」。この旅で最もお世話になるインド人と出会えたのだった。