TRAVERING

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【寄稿】寿町は「危険な街」なのか? 寿・黙示録

   

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「日本三大ドヤ街」の中でも、あまり知られていない寿町。日雇い労働者が暮らす街と言われてきたが、高齢者が暮らす街へと変化している。とあるニュースは言う。「寿町は危険な街ではなくなった」それを聞いた人は言う。「とは言っても危険でしょ?」実際のところ、どうなのか。ぼくは、寿町の今を知るべく歩き出した。

「寿・黙示録」を書くにあたって。「どっこい!人間節 寿・自由労働者の街」というドキュメンタリー映画を観た。ぼくは、その中にある一節に心を奪われた。そして、

当初は、この一節からはじまる文章にしようと思っていた。

昭和46年、豊さんは山谷でドカタ仕事をしながら暮らしていた。しかし、3月27日。仕事中に転がってきた鉄管で左足を切断するという事故にあった。

「あっという間に気を失い次にあっと思ったら足がなかった……」という。

退院後義足をつけた豊さんは、酒を飲んではケンカをくり返す日が多かった。

ある日いっしょに暮らしていた友人がなくなり、悲しさのあまり通夜の席で人をケガさせてしまった。自殺しようと思い、線路を歩いているところを警官に保護され、精神病院へ強制入院させられた。

やがて退院し、身障者手帳(第二種四級)をもらい、労災の慰謝料60万円を持って「屋台でもやるつもりで」寿町へやって来る。だが、来てすぐに泥棒に会い、有り金全部、盗まれてしまった。

無一文になった豊さんは 寿の人々に助けられ「はじめて人の暖かさを知った」という。豊さんが、文字の練習もかねたはじめて書いた文章には、昔公園でひとりの子供の知り合った、そのことについて、びっしりと書かれていた。

人生は かならず ないてくらす人もあり
又 わらっていきていく 人もある いろいろ あるが私のみちは
ちち はは きょうだいなき上に 体も わるし
体と いう のは 一本足を しごと中になくしたこと
体のわるき者は 私一人ではない
このよ には かずおおくの人がいるではないか

私は こどものころから
悪の みちにはいったが
今の私は 悪の心を かえて
よきみちにはいる心になったと思う

せんそうが おわりも まもないときさ
なぜか 心の中が 悪くなっていた
ちょうどその日は てんきがよくて
そばの、ちいさなこうえんに行って
おちてるかみをしいてよこになっていると
とおっていった人が おとしたのだろうか
かみでつくった さいふ らしきもの

その中をみたら一円さつ十円さつが 100円くらいあった
又 それを ひろって
ぽけっとに入れようとしたとき
まるい小さな ぼうるがとんできた
そしたら ぼろぼろの ふくを きた小さな子どもが
おじさん ぼうるを ひろってくれよと いった
それを ひろってなげてやろうと思ったが 私は ぼうるを おとしてしまった

おじさん やきゅうへただなと言ってやってきた
おじさん ねていただんだね だからひろえなかったんだな
おじさん ぼくたちと いっしょにあそぼうよ
わらいながら私に言った
それで悪くなりかけていた
心が白(やさ)しくなったんだ

私は 子どもに いいものをやろうかと言った
うそだと言いながら そばにきて手を出した
私は ひろったばかりの 十円さつを子どもへやると
子ども すごくよろこびはねて
おじさん又あしたもね と言って とんで行った

私は こどもを もっているのだ
おじさんではなくて お父さんと言ったと
自ぶんで かんがえ
子どもにも めしやこづかいを
おやだと思ってくらす
父なんだと思いかんがえながら

あくる日もこうえんに行くと
子どもはきのうのおじさんと言って
小さな手をだして
今たべてるおかし これ おじさん一つたべるかい
これおじさんにもらったお金でかったんだ

私は そのとき金はなかったが
わざと 「おじさんお金なくしちゃったんだ」って
「又あしたあげるよ」と言って わかれたあの子は
いくつくらいだったかな としは きかねども
今思うと あの子の ために
今の私は 白(やさ)しくなったのさ

寿町は「危険な街」なのか? 寿・黙示録を読んで寿町に興味を持ってくださった人がいらっしゃいましたら、ぜひ、この映画もあわせてご覧ください。

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